唱歌・童謡の歴史について

童謡について

教育用教材の「唱歌」と、日常生活を綴った「童謡」は、①次世代の子どものために、②対価を求めることなく、純粋に創作されたという共通点がありました。かつて両者を「童謡・唱歌」と総称したのは「次世代の人づくり」という共通目標があればこそだといえましょう。

児童音楽ジャンルの定義

  • 🌸わらべ歌
    民間伝承による子どもの遊び歌。

    • かごめかごめ
    • 通りゃんせ
    • あんたがたどこさ
  • 🎓唱歌
    教育を目的に創作された児童歌曲。

    • 蛍の光
    • 故郷
    • ウミ
  • 📚童謡
    一流の文学者や音楽家が
    情操教育を目的に作った作品

    • 赤い靴
      (作詞:野口雨情/作曲:本居⾧世)
    • 嬉しいひなまつり
      (作詞:山野三郎/作曲:河村光陽)
    • みかんの花咲く丘
      (作詞:加藤省吾/作曲:海沼 實)
  • 🌈新しいこどものうた
    童謡唱歌を否定し
    音楽性を重視した児童歌曲

    • めだかの学校
      (作詞:茶木 滋/作曲:中田喜直)
    • 犬のおまわりさん
      (作詞:佐藤義美/作曲:大中 恩)
    • おはなしゆびさん
      (作詞:香山美子/作曲:湯山 昭)
  • 📺アニメソング
    アニメ番組の内容を書き下ろした作品
    (※タイアップ作は含まず)

    • 鉄腕アトム
    • 科学忍者隊ガッチャマン
    • ドラえもんのうた
  • 🎤児童歌謡
    子どもに歌わせることを
    目的に企画された児童向け合唱曲など

    • 手のひらを太陽に
      (作詞:やなせたかし/作曲:いずみたく)
    • 旅立ちの日に
      (作詞:小嶋 登/作曲:坂本浩美)
    • にじ
      (作詞:新沢としひこ/作曲:中川ひろたか)

童謡の歴史

明治期の「唱歌」が難解で教条的だとして大正期に文学者が興したのが「童謡運動」です。これに賛同した有志の作曲家は、作品の文学性を損なうことなく楽曲として纏め、「童謡」と呼ばれる歌曲が誕生しました。童謡は昭和20年代前半に最盛期を迎えますが、GHQ主導の教育改革や「新しい子どもの歌」を掲げる一部の営利作家に排斥されながら、次第にその存在感を失っていきました。昨今では児童歌曲全般が童謡と総称され、本来の魅力が見失われつつあります。

年代 出来事
明治5年
(1872年)
学制発布により学校制度が確立するも、音楽と体育は当初採用されず。
明治14年
(1881年)
初の「小學唱歌集」発行。西洋音楽を基にした唱歌が学校教育で導入される。
明治38年
(1905年)
夏目漱石が「ホトトギス」で「童謡」を発表。
大正7年
(1918年)
鈴木三重吉が童謡雑誌「赤い鳥」が創刊し、多くの文学者が参加。
大正8年
(1919年)
日本初の歌曲童謡「かなりや」が発表(西條八十作詞、成田為三作曲)。
昭和8年
(1933年)
音羽ゆりかご会が創設され、「赤い鳥童謡運動」の普及活動に従事。
昭和18年
(1943年)
NHKが東京放送児童合唱団を組織し、音羽ゆりかご会が委託される。
昭和20~21年

(1945~1946年)
川田正子の「里の秋」「みかんの花咲く丘」などが大ヒットし戦後復興に童謡が貢献。
昭和30年
(1955年)
ウィーン少年合唱団の来日。「ろばの会」が「新しいこどもの歌」を推奨。
昭和44年
(1969年)
日本童謡協会が設立され、童謡文化の再興を目指すも内部分裂が生じる。
昭和50年代
(1970年代)
アニメソングやアイドル歌謡が子どもたちの人気を独占。童謡は衰退傾向に。
平成時代 バブル期に営利イベントを濫発した「新しいこどもの歌」は衰退の一途へ。
令和時代 平成30年創設の「日本童謡学会」が童謡の本来の意義を取り戻す活動に従事。

童謡の歴史と童謡学会の関わり

日本童謡学会は2018年に「童謡100年」を機として創設されました。国内で唯一、戦前から活動を継続し、赤い鳥童謡運動を継承するただ一つの童謡団体でもある「音羽ゆりかご会」と連携し、数多くの史料のもと「本来あるべき童謡の姿」とその活用法を研究しています。また同時に、一般向けには「童謡」の正しい歌唱法や創作手法を提供することで、本来の童謡を踏襲する新たな文化醸成にも注力しています。当学会は日本の童謡文化を継承するただ一つの団体です。

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